今は亡きあの人へ伝えたい言葉

第9回「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」コンテストへたくさんのご応募をいただき誠にありがとうございました。
2,026通に及ぶ応募作品の中から、厳正なる審査の結果、
金賞、銀賞、銅賞および佳作の82作品を選出いたしましたので発表します。

※今回、2025年2月以降に予定している書籍化の前に金賞、銀賞、銅賞を受賞された方々の作品を先行公開します。

※漢字や仮名遣いなどについては、できる限り、届いたお手紙のまま掲載しております。

金賞 1作品

私の自慢のお母さん

 久しぶり、元気ですか?私は、今年20歳になりました。お母さんの振袖、ちゃんと着たよ。本当は、1番に見せたかったです。お母さんは、私をお父さん似と言っていたけれど、私、お母さん似なんだよ。同じ振袖を着たら「お母さんかと思ったわ」って皆に言われました。

 それに、小学生の頃は、お友達が少なかった私だけど、今では沢山できました。男の子が苦手だったけれど、彼氏もできたんだよ!お母さんがいなくて寂しいことも沢山あったけれど、皆のおかげで笑顔で成人式を迎えられました。

 けれどね、お母さんと過ごした日々が、人生の半分になっちゃいました。本当は、お母さんとの思い出を全部覚えていたかったけれど、もうお母さんの声も思い出せません。あんなに毎日、お母さんと口喧嘩をしていたのに、どうしても出てこないの。本当は、お母さんと恋バナしてみたかったし、ショッピングだって行きたかった。いつも「うちのお母さん、お菓子作りが趣味なんだ」って言う私のお友達に、お母さんの作ったお菓子食べさせてやりたかった。うちのお母さんのケーキの方が、一億倍美味しいのにね。裁縫だって、料理だって、オシャレだって、うちのお母さんが1番なのに。お母さんが1番美人なのに。私の自慢のお母さんなのに。

 お母さんに怒られるの、すっごく嫌だったけれど、そのおかげで私はいつも褒められます。中学生や高校生の頃は成績も良かったんだよ。字も、お母さんみたいに上手に書けるようになりました。嬉しいことや、褒められたこと、本当は全部お母さんに「良くやったね、頑張ったじゃん」って言われたかったんだよ。毎回そう思っちゃうから、突然いなくなったお母さんを許せない時期もありました。けれどね、やっぱり私のお母さんが1番なんだわ。何にも言わずに亡くなったお母さんを恨もうと思っても、お母さんのこと大好き。入学式や卒業式にお母さんはいないけど、「うちのお母さんが、やっぱり1番だわ。」って思えたから、私は強くなれました。

 いつまでも、私の自慢のお母さんでいてくれてありがとう。私を産んでくれてありがとう。お母さんの娘であることを誇りに思います。

金賞

銀賞 2作品

rikimasaru

たった一人の俺を、
守ってくれてありがとう

死に目に会えんかったこと、ごめん。
いつもタイミングが悪い俺らしいなと笑われそうだけど
最期もそうなってしまいました。

物心つく頃から「おかん」しか知らない俺でした。
父親は、今も知らない。

「母ひとり子ひとりやけん」があなたの口癖でした。

「母子家庭だからできんとは言わん」と、いつも遠足や修学旅行には
決まって新品の靴やシャツを用意してくれていましたね。
それがどれだけ大変なことだったかを、恥ずかしながら大人になって理解しました。

親父と離婚してから
ずっとあなたは私に不自由をさせまいと気を張っていたのだということ。
本当は自分が一番心細いはずなのに、一度もそういう姿を俺の前で見せなかったこと。

小学校に上がったばかりの運動会の日に、親子競争を先生と走った後で
「なんで俺には親父がおらんの」と言って困らせた時も
「必要ないからや」と煙草の煙を燻らせながら豪快に門前払いしてくれたおかげでそれ以上の疑問はその後一度もありませんでした。

結婚し、子供を授かって「孫」ができてからは
親子であったことが嘘であるかのように
俺の世話から身を引いてくれていましたね。

「それはあんたの奥さんがすることや」と、どこか寂し気に話したのを覚えています。
「マザコンになるなよ」もあなたの口癖でした。
本当は、寂しかったのかな…。

これからも、いつも俺の心の中にあなたはいます。
苦しいとき、うれしいとき、すべて俺に有るものはおかんが全力で俺を守ってくれたおかげでそれを感じることができているということを忘れない。
俺たちに起こることは、あなたからの贈り物であると、心に刻んで生きていきます。
この世に俺を生んでくれて、本当にありがとう。

銀賞

島みずき

文字から聞こえる声

 お兄ちゃん、私はこの春で二十三歳になります。お兄ちゃんが天国へ旅立った歳に追いつきました。いつも私が健やかに、朗らかに、笑顔で暮らせるよう見守ってくれてありがとう。柔らかな春風が吹くたびに、優しかったお兄ちゃんの声や笑顔を思い出します。

 お兄ちゃんがガンと闘い始めた頃、私はまだ小学生で、その苦しみや悲しみや辛さをよく理解することができませんでした。お兄ちゃんが入院するたび、体調を崩すたび、父さん母さんは付きっきりで心配をして、その様子を見て何度も私は不満をこぼしました。今でも後悔しています。お兄ちゃんに「僕が病気のせいで、ごめんね。」と何度も言わせてしまったこと、ガンについて自ら進んで知ろうとしなかったこと、お兄ちゃんのいない未来を想像するのが怖くて、ここへ旅行したい、あれを食べに行きたい、という話題を避けてしまったこと、悔やんでも悔やみきれない。お兄ちゃんは旅行好きでした。たとえ叶わぬものになったとしても、ガイドブックやネットで調べて、旅行計画を立てて楽しみを作ってあげればよかったなと思います。

 命の灯火が消える少し前に、お兄ちゃんは長い長い手紙を書いてくれました。学校のこと、友達のこと、家族のこと、仕事のこと、いつだって面倒見が良く心配性で世界一妹想いのお兄ちゃんらしい、最後の、最高の、贈り物だったね。優しく丁寧に書かれた文字に触れて、私は何度も何度も涙を拭い、歯を食いしばり、別れの悲しみを乗り越えることができました。受験も就活も、大変な時にはいつも手紙を読み返して「お兄ちゃんが見守ってくれている、大丈夫」と思えたよ。

 二十三年間の日々を精一杯生きて、その強さやたくましさを見せてくれてありがとう。家族の大切さを教えてくれてありがとう。今日生きていることは当たり前ではないと、命は無限ではないと気づかせてくれてありがとう。私はあなたの妹であることを誇りに思います。お兄ちゃんが懸命に闘った日々を、勇気あるその姿を、温かな思いやりの心を、きっとずっと忘れません。人見知りでわがままな妹だから心配しているんでしょう。大丈夫、とは言い切れないけれど、お兄ちゃんが安心して休めるように、私も一生懸命に命を燃やして頑張りたいと思います。

 お兄ちゃんでいてくれてありがとう。これからも空から優しく温かく見守っていてください。
いつまでもおっちょこちょいな妹より。

銀賞

銅賞 5作品

今野陽子

紅葉と青空と

正直なことを言うと、あなたの顔を思い出すのもちょっと難しくなってきたのです。
「結婚しよう」って約束していた仲なのにね。
あなたの生きている時の顔は思い出せなくても、死に顔なら鮮明に思い出せます。なんら処理の施されていない「身元確認」のために警察署で対面した、あなたの顔です。白目を剥いて、口は半開きの。
あなたと結婚するはずで引越してきた信州。その数ヶ月後に、婚約者であるあなたの葬儀に参列するなんて。それも、自ら旅立って行くことを選ぶなんて。
一緒に暮らしていても、自ら命を絶とうと思い詰めていたことにすら気付かなかった。そんなことって本当にあるんだ。
私はどうすればよかったんだろう。
もう、立ち直れないと思っていました。

あれから十五年。
人間ってタフで残酷な生き物ですね。
あなたが命を落とした信州の地で、あなたとは違う男の人と出会い、結婚して、二人の子供達にも恵まれ、ありきたりで平穏な毎日を送っています。
毎年、厳しい冬がやってくる前には、当たり前のように木々は彩りを増していきます。そうやって山肌が鮮やかになる頃、私の中にはザラザラとした気持ちが蘇ってきます。
青い空と鮮やかな紅葉。
この自然の織りなす美しいコントラストは、火葬場へと向かう直前の、あなたの肉体が存在していた最後の時間を想起させるのです。
あなたの葬儀を終えて、セレモニーホールから出た時に飛び込んできた景色は、雲ひとつない青空と、真っ赤に紅葉したアルプスの山並みでした。
その憎たらしいまでに鮮明な映像は、子供の柔らかい手を握っている時にも、四人分の晩ご飯を作っている時にも、不意打ちのようにところ構わずやってきます。
そのたびに、私はひとり奥歯をぐっと噛み締めてやり過ごします。
相変わらず、紅葉の季節は苦手なままです。

銅賞

酒井公子

来世も巡り会いたい貴方へ

 毎年車椅子に乗って嬉しそうに貴方が開花宣言をしていた庭の桜も、今年は主がいなくなって、心なしか淋しそうです。

 貴方が天国へ旅立って早や半年過ぎました。

 目の廻る忙しさの六年間の自宅介護は長いようで短い月日でした。

 忙しかったけれど、貴方がそこに居るだけで幸せな日々でした。

 「夫婦とは、互いに足りないところを補い合う補足の原理で結ばれる」と聞いた事があったけど、まさに貴方と私は全く正反対の性格でしたね。

 私は根っからの楽天家、何があっても「ドンマイドンマイ、ま、何とかなるさ!」なんて明るく受け流すタイプ。

 それにひきかえ、貴方はまるで高僧の様な風貌で、無口でいつも冷静。おしゃべりな私の話を、どこか俯瞰する様な態度で聞いていたわね。

 今しみじみ思うと、私って、何て可愛気のない妻だったのかしら。

 それは貴方に甘える事が出来なかったこと。

 貴方、さぞ淋しかったでしょ? ごめんね。

 いつぞや、余りにもネアカな私の事を「君の明るさは、時として周りを暗くする。君は油断すると葬式でも盛り上げかねない。」と叱られた事があったけど、貴方の言葉通り私やっぱり貴方のお葬式盛り上げちゃった。

 貴方とのお別れが悲しくって、食事が入らず、最後のお別れの献花の時は悲しみと空腹で私、倒れそうでした。

 丁度その時盆に盛られたおいしそうな「お握り」を係員が「奥様、道中お腹がお空きになられましょうから・・・・」と私に手渡したの。

 何か変だと思いつつも、てっきり私達に差し入れだと思い「まあ!この様な時に、かようなお心遣いは御無用でしたのに・・・・・・・」と私。

 「いえ、これは仏様に道中召し上がって戴くものでございます」

 それを聞いた途端、恥しさと低血糖で倒れそうになりました。前の親戚が肩ふるわせて泣いているかと思ったら笑いをこらえていたの。こんな大切な時に大失敗して貴方に恥をかかせてしまい、本当にごめんなさいね。

 貴方は昭和生まれの明治男の様な人、私に一言も労いの言葉はなかったけれど、先日机の引出しに「般若心経」の写経を発見、最後に「公子の幸せと健康を祈って」と書かれた結びの言葉に涙が止まりませんでした。

 どんな思いでこれを書いてくれたのでしょう。ありがたくて切なくて貴方が恋しくてたまりませんでした。

 来世、私きっと貴方好みの物静かな甘え上手な可愛い女となって貴方と巡り会いたいと思っています。

銅賞

戸田千章

神様から預かった小鹿

 何ものにも代え難い、私の愛しい息子。
名前は善也(よしなり)。最重度障害児として私のところへやって来た。NICUから出たのは、4か月を過ぎた頃。初めて私の腕の中に抱いた我が子はあまりにも大きく、それに反して首さへ座らない新生児のままだった。これからこの子をどう育てようと悩む余裕すら、私には無かった。3人の息子、義父母に夫、工場が待ってる。母として、主婦として、嫁として日々機織りしながら、善也の24時間全面介、看護に追われ、自分がどうやって生活してきたのか、思い出す事も出来ない。ただ覚えているのは、息子達を私が出来る全ての愛情で育てた事だ。善也は障害が重く長く生きられないと言われてたが、弱る度に私が助けると誓った。神様のおかげで30歳を迎える頃には、時々笑ってくれた。倖せだった。倖せが続くと思った。

 令和3年4月10日、例年通り私の誕生日に善也と最高の顔で撮った写真が最後の物になるとは。同月15日から体調が急変。2日間ICUに入り息を引きとった。コロナ真只中で付き添いも抱く事も叶わなかった。あまりにも急な別れで私は母として善也に伝えられなかった事がある。私は神様から選ばれ、この子を預かったと信じてる。だからいつかは御返しする子だとわかってた。この子を育てた事で沢山の事を学んだ。もしも来世が有るのなら、次も必ず私を母として選んでほしい。母の胸の中でそう約束してお別れしたかったのに、それが叶わなかった事が無念でならない。私の可愛い小鹿。35年間という長い間、寝たきりで大きな赤ん坊のままで、ずっと私の傍らに居て、頑張ったね。

 これからは思いっきり走りまわるのよ。

 約束だよ。

銅賞

ユウ

また会う日まで笑ていこ

「ほんまに死ぬん?」なんて、我ながらド直球な聞き方やったね。
でもハルの「死ぬらしいで」って返しもどうなん。他人事すぎやろ。
ハルはめっちゃ痩せてたけど、見慣れた部屋で、お菓子つまみながらゲームして、しゃべって、お互い好きに過ごして。
あまりにもいつも通りで、ずっとこのまま一緒に居れるんやって錯覚した。

「墓は鉄製にするから、猛暑日は肉焼きに来てな。二人BBQや。」

お葬式の後に貰った手紙。
この締め、これさいごの言葉としてどうなん。
まずハル、肉食べへんやん。私もう、ハルの残した肉貰ってあげられへんねんで。
それとな、ハル寒がりなんやから、鉄は冬冷えすぎるやろ。私もう、マフラー貸してあげられへんねんで。
あと、雨で錆びへん?隣歩いてくれんかったら、私もう、傘に入れてあげられへんねんで。「汚れてんで」って拭いてあげることもできへん。

そんなん考えて、泣きそうになった。
手紙、せめてお葬式の前に渡してほしかった。
そしたら棺桶覗いた時に、顔見ながら、全部言えたのに。

後出しにした理由は、お姉から聞いた。

「中身チラ見するやろうおかんが、少しでも笑えるように。」
優しいな。おばさん絶対見はるもんな。良い作戦やん。

「おとんの百面相も見たい。」
わかる。おじさん寡黙やのに、考えてること全部顔に出るからおもろいもんな。

「あと、泣きながら棺桶覗かれたらイヤやん。涙はまだしも、鼻水とかよだれとか。垂れそうで。」
・・・まぁ、わかる。たぶん誰も垂らさへんけど。

「何ならユウとか、鼻拭いたティッシュうっかり棺桶の中に放りそうやもん。」
せぇへんわ!!!
さすがにツッコんだ。
びっくりするくらいデカい声が出た。
したら、お姉は顔真っ赤にして肩揺らし始めるし、おじさんは真顔で「しそうや」とか呟くし、それ聞いたおばさんはお茶吹き出すしで、もう、諦めてみんなで一緒に笑ったわ。
「こんなん絶対笑かしにきてるやん」て、泣きながらゲラゲラと。
ハルの作戦に乗ったわけやないで。しゃーなしやで。

ハル、言うてたね。「死んでも泣きなや」って。
私が「無理」て返したら、「ほなその分笑ろて」て。

私はもう、ハルに何もしてあげられへんのに。
ハルはさいごのさいごまで私を笑かしてくれて。すごいなあ。
もう十年経つけど、事あるごとににハルとの思い出に救われて、その度ハルの大きさを思い知っとる。

私は泣き虫やから、これからもハルを思い出して泣くやろうけど、その分、ハルを思い出して笑うわ。
約束。また会う日まで。

銅賞

碧水翔

銭湯で

 井の頭線久我山駅のすぐ横を神田川が流れていて、その傍らに、今はないが、風呂屋があった。君も憶えていると思う。サンダルはいて石鹸をカタコト鳴らし、夕方早くから二人でよく行ったね。

 あるとき、というより初めて一緒に行ったときか、体を洗い終わりかけていると、女湯の方から大きな声がした。「さーとしー、もう終わった?」。湯気で声がよく響いた。十人くらいはいたろうか。湯ぶねや洗い場の皆があ然として、次の瞬間頬を緩ませた。いちいち見てはいないが、こういうときは、全体の雰囲気と一人びとりの表情が頭のスクリーンに浮かぶものだ。嬉しいやら恥ずかしいやら、僕も何か返事をしたと思う。「まだ」とか「もうすぐ」とか。

 ガラス戸をあけて脱衣所へ上がると、番台のおばさんがニコッと笑ったような気がする。

 君は脱衣所でも声をかけたことがあった。「さとし、いーい?出るよ」という具合に。僕も、ドギマギしながら、生まじめだから、「ウ、ウン、いーよ」とか何とか返事をしたと思う。

 番台のおばさんは、僕を幸せ者と思っただろう。その通り。何て幸せなんだ。そんな心地良さを感じていた。君に言葉でそう言ったことはないけれど。

 風呂屋の外で、一緒になって二人並んでパタパタと歩き出す。ときどき、小路の出口にある喫茶店(夕方からはパブになる)「ボン」に寄って、ビールなど飲んで。

 十年か二十年前にあったような青春。いや、十年か二十年遅れでも、青春はいつでも起こりうるのだ。これぞという相手に出会いさえすれば。僕にとっては、それは君だった。

 きっと、きみにとってもそれは僕だった、そう思いたいよ。

 そんなに長くはなく、君は突然逝ってしまった。その後数十年経って、僕は独居老人だ。

 今生では、君への感謝を形にすることはできない。来世というものがあるなら、ただただ、来世でもまた君と出会いたいと思う。

銅賞

佳作 74作品

氏名 タイトル
大西 悠貴 十年間、ありがとう、お疲れさま
おくはら ゆい 母さん、今日電話してもいいですか?
古川 諭香 あの1万円は届きましたか?
フレッド 今は亡きあの人へ伝えたい言葉
市村 祥男 私はあなたがお父さんをやっている姿を見たかった
あさひ 天国からの歌、届いたよ
本間ハル 不器用なお父さん
はなこママ娘 おかあさん へ
石井 杏奈 大パパへ
高橋 正憲 お母さんごめん そしてありがとう
があこ 今は亡きあなたへ「天国へ エアーメール」を
みち 一緒に卒業したい
奈良チカ どんくりのネックレス
高橋 弘季 妹が結婚しました
小坂 美智恵 あなたへ
ひとし 可愛い可愛い娘より
くりりん あの頃のあなたに近づいて
中嶋 知子 酒と釣りが好きだった父へ
関根 トミ子 突然 逝ってしまったあなたへ
皐月七日(さつきなのか) 半面教師
八亀 みか やっと言える、ありがとう。
おもち じぃちゃんの声
はるみ 返事書かなくて ごめんね
高砂 浩子 いつも守ってくれてありがとう
かつい 初めて書いたラブレター
井野 絵里香 愛のチカラ
山田 恵子 最期の言葉
古本屋 言えなかったこと
美冬 幸せな子
山本 泰子 無題
愛葉 優 たくさんの学びをくださったあなたへ
suika53 大丈夫やからな
こうの ゆうこ おかあさんへ
竹場 咲貴 尾を引く音色
マナ ばあちゃんへ
ほしいもモグモグ ゆうまへ
パンだるま 繋いでいくね
すず ばさまへ
永田 千惠子 ひまわりの刻
浅井 洋子 愛しさ募り涙に暮れて
五月 お母さんへ
福澤 あやめ 思い切ってやってみたよ
ヒロミ 玲子へ
猫屋敷管理人 待っててね
あおに あんず みさきめぐり
kei きっと喜んでくれてると。
古谷 充 思い出のあんパン
紫苑(しおん) 天国で乾杯
かっちゃん 智宏へ 息子との出会い、生きる喜びに感謝
小堀 祥子 今は亡きあの人へ伝えたい言葉
秋山れんげ 恭さんへ 最後の手紙
片桐 恵子 あなた宜しくね
末継 雅英 母ちゃんへ
のりこ もっちゃん
武田 重喜
荻原 恵造 K、一緒に行こう!僕に憑いておいで!
ムッチー 『ごめんね…ありがとう(呼べども返らぬ言葉)』
鵜ノ澤 暢子 大好きなお父さんへ
中馬 信次 亡くした息子に言っておきたかった思い
古垣内 求 四年に一度
葵紗慧 色とりどりの花束を、じいちゃんに
天宮清名(あまみやせな) 前を向いて
高木 建二郎 あの時の言葉
あらいまく 今も勉強し続けています
加藤 真鈴 水色の孔雀の振袖
廣岡 佳子 奈良の娘から高松のおじいちゃんへ…
井上志保 「もっとたくさん教えてもらえばよかった」
「お母さん」ともう一度呼びたい。
福田 日出男 当たり前なんか、ない
井上 知樹 『残された私ができること』
柴田 修三 無題
福ゆたか これからの親孝行
きなこみるくのお母さん お母さんに最後のお願い
なかじゅんこ あなたに出逢えて
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