第8回今は亡きあの人に伝えたい言葉第8回 今は亡きあの人に伝えたい言葉入選発表

厳正なる審査の結果、選ばれた入賞作品を発表させていただきます。
なお、今後は佳作も含めた書籍化も予定しております。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」
のご感想を募集しております
金賞金賞
樋口 美来 五文字の後悔

拝啓

 すがすがしい初夏の季節となりました。おじいちゃん三年ぶりですね。天国で元気にしていますか?先月、おばあちゃんがおじいちゃんとお喋りしたくて天国に会いに行きましたが、その時、いつも着ていた割烹着を持っていったから今頃二人でおばあちゃんの手料理を食べている頃でしょうか?これからまた仲良く暮してください。

 さて、なぜ今、おじいちゃんに手紙を書いているのかというと、どうしても伝えたいことがあるからです。私は物心ついた頃から、おじいちゃんは無口で笑わない、素っ気ない人だと思っていました。だから、今日までずっと話す時は敬語でした。おじいちゃんのことを何も知らなかった私を許して欲しいです。いえ、正しくは「知ろうとしなかった私」をです。無口で、笑わなくて、素っ気ないこと全てに理由があったことをおじいちゃんが亡くなってから初めて知りました。

 亡くなった次の日、家族で写真を見返していると、そこにはとびっきりの笑顔でお友達と写っているおじいちゃんがいました。徐々に時を刻むにつれ、写真からは笑顔だけが消えていました。認知症だったのですね。それも私が生まれる前から。しかし、もしたくさん話しかけていたら、もっともっとおじいちゃんのことを知ることができたのに。笑顔が見れたかもしれないのに。今思うと好きな食べ物も、テレビ番組も、趣味も知りません。勝手に見えない壁を作っていたのは私のほうでした。ごめんなさい。

 葬儀の時、会場には二百名近くの方が来てくださいましたね。それは生前、おじいちゃんがお友達を大切にしていたからでしょう。そして、私にも一つだけしっかりと覚えていることがあります。それは私が五、六歳の時、たった一度だけおじいちゃんの膝の上に座ったことです。お喋りこそしませんでしたが、確かにあの時、大切にされているんだなと感じました。ぬくもりを感じました。

 「ありがとう」「大好きだよ」と伝えればよかったです。あの時、言葉にして。親戚のおじさんに言われました。
「人が亡くなった時、後悔しない人はいないよ」と。今度はいつ会えるかも分からないのに、顔や名前も忘れられるかもしれないのに。そんな、たった五文字の短い言葉を言うことが出来ませんでした。今になって、後悔の気持ちからか涙が止まりません。

 おじいちゃん、約束します。これからは思ったことはしっかり相手に伝えます。この手紙のように。だから次会う時はたくさんお喋りしようね。九十年くらいは行かないけど。じゃあ、またね。

敬具

銀賞銀賞
You 生まれてくれてありがとう

陽菜乃へ

 君が天国に旅立ってからもう二年が過ぎたね。SIDS(乳児突然死症候群)でいなくなった君に伝えられてない言葉がある。そのことが今でも心残りなんだ。
君が亡くなった日は土曜日だけど、仕事があった。育休中のママは、当時2歳のお姉ちゃんと同じ布団で、陽菜乃と寝てた。パパとは別の部屋で。朝起こしたら悪いと思って、おはようも言わずに仕事に出かけたんだ。そのあと二度と会えなくなるなんて思いもしなかった。

 会社に着いて仕事に取り掛かろうとしたら、すぐに電話がかかってきた。普段こんなタイミングで電話がくることなんてないから嫌な予感がした。ママからだった。電話の向こうで、「朝起きたら陽菜乃が息をしていないの。冷たくなって…」、泣きじゃくりながら状況を伝えてくれた。でも、混乱しててうまく説明できてなかった。隣にいた救急隊員が電話を代わり、説明してくれた。

 ママが起きた時にはもう陽菜乃は冷たかった。すぐに119番に連絡して、救急車を待ちながら、心臓マッサージと人工呼吸を施した。だけどもう手遅れで亡くなったと。
前の日の夜、パパは君を寝かしつけようとしてたね。横になりながらお腹をトントンしたり、両手に抱えてユラユラ抱っこをしたり。いつまで経ってもなかなか寝てくれない君に、ちょっとイライラしてた。匙を投げてママに寝かしつけてと押し付けた。
そしたらママに、
「そんな適当に寝かしつけるなら、産まなきゃ良かったって思っちゃうよっ!」
って怒られたんだ。その時は強がってたけど、ママにそんな言葉を言わせたことを今でも後悔してる。陽菜乃はこの言葉を聞いたから、自分はいらないと思ったのかな?
そんなことないよ。陽菜乃が産まれてきてくれて嬉しかった。たった4ヶ月だったけど、陽菜乃と会えて本当に本当に良かった。夜泣きを全然しない、手のかからない赤ちゃんだったね。お姉ちゃんが顔じゅうにシールを貼ってもニコニコしている、愛くるしい赤ちゃんだったね。お出かけもほとんどしてなくて、いろんなことを経験させられなくてごめんね。
『生まれてきてくれてありがとう』。君が来てくれて幸せを感じることがいっぱいあったよ。パパのお腹の上でスヤスヤ眠る君の寝顔を見るだけで幸せだった。

 君のことは決して忘れない。世の中の人が覚えていなかったとしてもパパとママは死ぬまで君のことを忘れないよ。
人生100年と言われる時代。いつそっちに行くかわからないけど、天国でまた会えるのを楽しみに、陽菜乃の分まで一生懸命生きるからね。
パパより

村瀬 龍市 「ごめんね」ではなく「ありがとう」を

お久しぶり。

 毎日会っていて、お久しぶりでもないか。でも、君に手紙を書くのは暫くぶりだよな。
今日、グリーフケアCAFE に行って来た。
君を見送って、八月が来れば早や三年となるのに、いまだに寂しさ、切なさ、虚しさは薄らぐ事はない。「時間が解決してくれる」という言葉は俺には通用しない。胸底にあるのは悲嘆であり自責の念だ。仏壇の君に向かっていつも語り掛ける言葉は「先に逝かせちゃってごめんね」「気付いてやれなくてごめんね」。

 CAFEでは各参加者が語る時間は十五分程度だったから心情を全て話す事などできない。でも、君を失った悲しさ寂しさ、そして発病に気付いてやれなかった俺の愚かさを自分の言葉で話せた。話しているうち不覚にも涙が出た。スタッフの代表者が「奥様に手紙を書かれたらどうですか」とアドバイスしてくれた。また、講師のかたが、心がネガティブ状態の時は、感謝の念で「ありがとう」を呟くと、深海の淵に沈んでいる心が水面に浮かんで来るという話をしてくれた。
だから、今日はお詫びではなく後悔でもなく感謝の気持ちを伝えたい。

 感謝の筆頭は俺と結婚してくれたことだ。どこの馬の骨ともわからぬ俺と、しかも北海道の僻地で新婚生活を始めるのも厭わず一緒になってくれた。ほんとにありがとう。

 感謝の二番手は三人の子ども達を産み育ててくれた事。三人とも良きパートナーと共に明るく温かい家庭を築き、俺たちの孫を立派に育てている。君が母親として伸び伸びと育ててくれた遺伝子が、孫達にも受け継がれている。俺は、子ども達の教育や稽古事や家族のイベントも君に任せっきりだったが、君はそれらを一手に引き受けて見事に子ども達を育て上げてくれた。ほんとにありがとう。

 そして、常に俺と一緒に居てくれたこと。どこかで聞いた歌の文句じゃないが、俺のそばで支え続けてくれた。単身赴任した時も俺の甘えでヘルプを伝えると、わざわざ赴任地まで駆け付けてくれた。ほんとにありがとう。

 思い出を掘り起こしながら君への感謝を数え上げたらきりがない。あまり書き連ねると「ありがとう」の大安売りになってしまいそうだ。
だから、最後のありがとうを書きたい。それは、君がこの世に誕生した事。昭和というあの時代にこの日本に君が出現した事。全てのありがとうは、そこから始まる。そして運命的に俺と巡り会った。ほんとに、ほんとにありがとう。

 いずれ俺も其方に逝く日が来る。君との再会を楽しみにしてるよ。
そして、今度こそ面と向かってしっかり君に伝えよう。「ありがとう」って。

令和三年初夏
妻へ

龍市

銅賞銅賞
眼鏡 幼いゆえの後悔

もう、母さんが亡くなってから28年がたちました。

当時、私は7才で、入退院を繰り返すのが「当たり前」と思ってしまうほど、頑張って病気と闘っていたんだね。
いつものように家族でお見舞いに行ったとき、母さんの病気の重大さを理解できなかった私は、こう言ったのを覚えているよ。
「数日後に誕生日だけど、退院できる?」
その時になんて答えてくれたのかは忘れてしまったが、その翌日に母さんは亡くなってしまったね。
薬を服用しての副作用が原因だと後に知ったよ。
いま思うと、あの時に私があのようなことを言わなければ、もっと思い出が増えていたのかもしれないと後悔してるんだ。
お見舞いに行った翌日の早朝、霧が立ち込めている中で病院にいった理由も分からなかった。
いつもの電車でなく、タクシーで行っているのも分からなかった。
家族が、眠っている母さんの前で泣いている意味も分からないまま、ただつられて泣いていたのを覚えている。
姉に、「葬式が終わったら母さんは目を開けるの?」と聞いたことも覚えている。
当時は、本当の意味で悲しみを得られなかったのを後悔しているよ。
私がどこまで生きるかは分からないけど、それまでに話のタネをたくさん作って、笑いながら一緒に話せるのを楽しみにしてます。

田野山みより みんなに愛されたあなたへ

先日、なかなかの二枚目に成長したあなたの息子とお墓に行きました。

 中学校最後の剣道の試合に向かう前に、凛々しい剣道着姿をあなたに見せてあげようかな、と思ってね。どうだった?けっこう様になっていたでしょう?

 とっくに私の身長を追い越した息子どのは、あなたが熱狂的に愛した某野球チームを最大限に表現したお墓に手を合わせながら、「もし父さんが生きていたら、俺は剣道じゃなくて野球をやっていたのかな。」と呟きました。
「だろうね。底なしの野球バカだったからね。そして親バカだったから、きっと甲子園に行くのを信じて、あなたの勉強なんかそっちのけで一緒に野球やって、私にまた怒られていただろうね。」
そう私が答えると、彼は少し寂し気に「そっか。」と小さく微笑んでいました。

 最近のあの子は、日に日にあなたに似て来ます。顔だけじゃなく、おどけた時の表情やヘンな踊り方、寝る前に玄関のカギを指差し確認で確かめる様子までがなぜか似ているのには、正直驚きの連続です。2歳までしか一緒にいられなかったというのに、ふざけ方や習慣は遺伝子レベルでの遺伝なのでしょうか。遺伝子、恐るべしです。

 でも彼は、どんな事であれ、自分が父に似ているというのを本当に嬉しそうにします。「似なくて良いから!」と私は条件反射的に毒舌を吐きながらも、『本物』のあなたを知らないからこそ、せめて自分の中に父親を見られるという喜びなのかな、と思うとあの子の寂しさが垣間見えてちょっと切なくなります。

 あなたは底抜けのマイペース人間で、私は散々振り回されたし、たくさん怒ったし、たくさん笑わせてもらいました。未だにあなた程のマイペースな人を私は知りません。
あなたの葬儀には、驚くほどたくさんの人達があなたに会いに来てくれました。そして、お酒を呑みお寿司を食べ、たくさん笑いながら、みんな口をそろえて言うのは、
「あいつ、ほんとバカだったよな。」

 34歳の若さで、そしてたったの半年で、しかもあなたの珍しく頑固なお願いで亡くなるまで誰にも言わなかったから、みんなにとっては本当に突然逝ってしまったというのに、ずいぶん明るくにぎやかなお通夜でした。

これがつまり、「あなた」なんだよね。みんながつい笑顔になっちゃう。
「ほんとバカ」

 私も生前のあなたに何度言った事か。そしてこの13年の間にもね。まさに、『バカな子ほどかわいい』です。きっと誰もあなたの「バカさ」には勝てません。これからもみんなの心の中で、本領発揮してあげてください。

伊田 真佐子 ごめんなさい お母さん

今日ね
勤め先に離職を伝えたの
68歳になった今
介護の仕事はキツイ

仕事で接する高齢者さんは
皆人生の大先輩
いっぱい学ぶことがある
会話も楽しくていいけど
だんだん体がついていかなくなった

お母さんは同じ今の歳で
私は何の介護もしないまま逝って・・・
ただそれだけが悔やまれます
遠く離れているから?
何を我慢してたの?

ひとり娘だったから
いっぱい話もあったと思う
私も同じ気持ちです
もっと長生きしてほしかった
何もできなくて本当にごめんなさい

中村 小百合 おかあちゃんと、ハグしたい

母のくちグセは、「歩かんと歩けんようになる」で、毎日、毎日、歩いていました。
今、私は「歩けなくなりますよ」と、歩け歩け、運動して下さいと、言われている。

「ペットボトルのフタ、開けて」
「それくらい開けな、あけれなくなるよ」
今の私は(年寄りは、ジュースも飲むなって言うのか!)と、フタが開けられない。
「この袋、開けへん、あけて」
「それぐらい開けやれるやろ」
今の私は(なんでこの袋、こんなにピチャッと、くっついて、開けへんのや!)と。

当時の私は、歳を取ったとは、言うもののなんでも、頼ってくる母に、少しイラッとしてました。
ある日、「テレビが無い、テレビが無い」と、母が言い出しました。
「有るやん、こんな大きなテレビが2台」
「見るのが無い、見るのが・・・」と、母。
「2・4・6・8・10と、チャンネルが、こんなに有るから、なんなと有るやろう」とまた、私は、怒って言ってしまいました。

私も70歳が過ぎて・・・ある日
「テレビが無いなあ、テレビが無い、なあお姉ちゃん、年寄りは、テレビも見るなって言うのか?何にも無い」と、叫んでました。
「あっ、これや、お母さんがテレビが無いテレビが無いって言ってたん。チャンネルがこんなに有るのに、私が見て楽しいものが、無い。これやったんや、テレビが無いって」
私は、お墓へ行って、心の底から
「おかあさん、テレビ無いなあ~テレビ、私も、とうとうテレビが無くなったわ」と、大きな声で、言ってました。
そして今の私、腰を痛めて・・・ヒザまで・・・
”腹筋きたえて筋力つけて下さい”だって。
おかあさん、やっと気づいたよ。
「歩かんと歩けんようになる」やね。
わが身に起きて、身に染みて心から実感!

今度、母に会えた時
「おかあちゃん、ごめん、本当にごめん」
と、抱きしめたいです。

中林 ヨシ子 感謝の50年

桜、満開の春 4月夫は 静かに 76才で 旅立ちました。
お父さんへ

病院の帰り、バスの時間を いつも気にしてくれてありがとう。

私の作ったスープ これが一番 おいしいと言ってくれたことありがとう。

家で 胃ろうの手当をする時 看護婦さんみたい!と ほめてくれたこと ありがとう。

私が 乳ガンの告知を 受けた時、泣いてくれたこと ありがとう。

私が 抗ガン剤の治療の間 いつも 終わるまで 待っていてくれたこと ありがとう。

私が歩けなくなった 時、歩く練習をしようと 手を つないでくれてありがとう。

お父さんが 旅立った 三ヶ月後 私の乳ガンは 寛解 しました
十年間 いつも 病院に つきそってもらったこと ありがとう。

旅立つ 二日前 午後十時 私が 送った 最後の 携帯メール 読んでくれて ありがとう。

お父さん 早や 二年が すぎました。
オロ、オロと泣いていた 当時 からは 卒業しました。
五十年余り 苦楽を共にしてきた 思い出は、私の宝物です。
そのことは 私の 心の中で、光、輝いて
私の 生きる 力を 応援してくれています
いつも 私を守ってくれた お父さんは 側には いないけど
寂しさは 消える ことは ない けれど
お父さんの 魂は、ずっと つながっていると 信じています
今 私は
お父さんが 望んだように 息子家族の近くで 一人暮しをしています
五年生の 晴君は、お父さんと指切りをして 約束した 野球と勉強 がんばっています。
幼稚園の 奏君は、食べることが 大好きで、お父さんに 似ています。
にぎやかに 楽しく 暮しています
お父さん 安心して下さい。
お父さん 又、逢いましょう。

特別賞特別賞
鈴木 美智子 お母さんの意思、必ず継ぐからね!

 第一回視覚障害者京都マラソン大会への参加を機に、四十二歳から始めたマラソンが生きがいとなったお母さん。

 唯一の家族である私は、必然的に伴走者となったが、二人三脚で走り続けた三十五年間は、私にとってかけがえのない宝物です。
「継続は力なり」「出来る人と違って、出来なければ人の何倍も何十倍も努力しないといけない」そう言いながら努力を重ね、百キロ走破も果たすスーパーウーマンのお母さん。
「二十二歳で失明し、死を選ぼうとした時期もあったけど、マラソンに出逢って生きる喜びを感じられた。この喜びを一人でも多くの人に伝えたいし、一人でも多くの人に味わってほしい」「私より幸せな人がいるのかしら。目から感じる光は無いけれど、心はいつもいい天気」と言っていたお母さんは、本当に輝いていました。

 そんなお母さんを襲ったのは、恒例のホノルルマラソンから帰国後一週間での癌の発覚。
「今まで楽しい事いっぱいしたし、痛くて怖い思いして長生きしたくないし、治療は要らないので痛みだけ取って下さい」というお母さんの意向にも関わらず、どうしても長生きしてほしいという私のわがままで、痛くて辛い思いをさせてしまい、本当にごめんなさい。「美智子、今まで優しくしてくれてありがとう。美智子がシャワーに行ってる間にお母さん死んでると思うけど、強く生きていってね。」と、シャワーに行こうとする私を引き止め、手を強く握って言われた時、近日中に退院予定であったため、「そんな時期じゃないし。」としか言えなかった。それでもお母さんは、「まあいいから聞いて」と同じ事を言ったね。

 その三日後、天国に行くなんて、私達医療者よりも命の長さをわかっていたんだね。
「美智子が一人になっちゃうからよろしくね」と、私の心配ばかりしていたと後から多くの方に聞き、胸が張り裂けそうになります。

 娘としても医療者としても、寂しさと後悔は尽きないけど、四十七年間、一緒に過ごしたお母さんの姿が、今の私の原動力で、弱い私を奮い立たせてくれています。

 波乱万丈の人生にも関わらず、「苦労があったからこそ人一倍幸せを大きく感じられる」と明るく語っていたお母さん。
「自分の体験を無駄にせず、誰かの役に立てる生き方がしたい。いつか本を書きたい。」
お母さんの強い意志を生涯かけて受け継ぐから応援していてね。

佳作佳作
氏名 作品タイトル
和智 マリン これからもよろしくね
纐纈 ほのか だいすきなくっちゃんへ
たなばた ママに伝えたいこと。
イオリ ママへ
おさとう ばあちゃんがいない10年分
西宮ケイ 心配しないで
小樋井 七帆 春のデート
なつめ わたしの味方
赤霧あむ 名前のない「君」へ
音羽 最後の反抗期
カナコ パパを失って手にいれたもの
水野怜奈 君がいない世界を精一杯生きる
かまぼこ花子 お母さん、私を見守らないで
cocoro 無償の愛を与える人
宮下 木花 100万回のありがとう
石川 樹梨 ふたりが生きた証
簗瀬 力也 とりあえず10年が経つ
矢口いづみ 父さんへ
にお 友だちになってくれませんか?
NARU 陽だまり
ヨシ 忘れ語り
多田 有希 母さんのおかげで
のり 心の貧乏になっていないよ
所 美咲 会いたいなぁ
後藤 里奈 魂のエール
Mari 二人のお父さんへ
赤坂 美里 優しい眼差しに思いを馳せて
美保 見せたかった未来
鈴木 のりこ 雨のち、日本晴れ
荻野綾子 あなたは一人じゃなかったよ
マー君ママ マーくんへ
レンピカ 過去と現在にくれたもの
しまあか 産んでくれてありがと
山田 美沙子 逢いたいよ。
服部 温代 ありがとう。頑張るね。
廣野 紗梨衣 毛皮をまとった息子へ
めぐきち トミさんへ
ポコ ありがとう。
本郷 郁恵 洋一、あのね。
あいこまん 親愛なる真梨へ
切手のないおくりもの お兄ちゃんへ
松﨑 浩樹 S先生へ
佐羽 湖姫 お父さんへ
安西理衣 なんでもない日の約束
天野 洋祐 じいちゃん、僕は優しいですか?
花 丸恵 おばあちゃんの舌
ばいがい こぶより感謝
鈴懸ねいろ 失敗は生きてゆく糧。
まあちゃん お父さん またね。
岩崎 晃久 パパさん
グルタミン酸ナトリウム おじいちゃんへ
わるつ 「いま」をありがとう
ばばちゃんへ
三日月 あなたが教えてくれたこと
織田 裕子 おじいちゃんが認知症になった意味がわかったよ!
和知 愛 温かい遺体って最高!
皆藤 和枝 大人になったよ
三橋 千鳥 ボン・ボヤージュ
くうけん 黒沢先生へ
山本 康子 大好きなお父さんへ
すくちゃ 「幸せだったかなあ」
永野 加代子 待たせてごめんね。~納骨終わりました~
いわて 山太郎 おらぁ、校長先生になったじゃ
こうとん 見てくれてますか?
有馬 由佳 ずっと一緒だよ
石田 加代子 天国の夫へ
池戸 則子 何も言えなくて
平形 幸雄 タクティクス
ハルババ あの時はごめんなさい。
くれない 今はどうしていますか
宮田 真由美 ねえ、お父さん聞いてる(あなたに今聞いてほしい事)
コアラ 最後まで強がった兄
村田 富士子 お姉ちゃんへ
内田 鈴子 母ちゃんに逢いたい
キミー・オニヅカ いっぱい可愛がってくれてありがとう
いのかしらやす 父への質問
斎藤エミ子 いつもあなたと
土橋 重三 後悔先に立たず
コッコちゃん 美紀へ
小兎 Nさま
小山 しず枝 先生の遺された言葉
夢見る六十代 お父さんありがとう、大好きです!
赤間 登美 お父さんのぐちゃぐちゃ料理、本当はうまかった
宗正樹 父へ、感謝を込めて
早田 マチ子 亡き母へ伝えたい感謝の言葉
華木ユウ ありがとう、父さん
二度惚れ 男前の生き方に二度惚れどす!
高橋 美知子 今の幸せはみんなお母さんのお陰
安藤 知明 やっと会えたね
丹内 哲郎 癌の父
坂本 孝子 今は亡きあの人へ

たくさんのご応募ありがとうございました。
ご応募いただきました作品は全て当社による書籍化対象作品となることを予定しています。
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